プロフィール

高校生の時にPCを買ってから、ずっとエンジニア一筋で生きているヤスです。

私は、周りの方達のように綺麗な一本道の人生ではなかったです。

紆余曲折な人生を歩んできた中で、周りの人達が見えなくて私には見えていることがあると思い、それをネットで発信しようと考えてブログを始めました。

ここでは、私の歩んできた人生について語っていきたいと思います。

こんな人生もあるんだなーと見て頂きたいです。

それが誰かの助けになればいいなと思います。

経歴

中学時代は虐められていた

よく太陽のように明るいね!と言われる私ですが、中学時代は虐められていました。

昔は凄く気が弱くて、何かをされても文句を言えない性格でした。

そこにつけ込まれて、物を隠されてたり、みんなの前で裸にされたりしていました。

結局、その虐めが明るみに出て、気の強い母が学校側に申し出て、学校側が誠意に対応してくれたため、虐めは沈下しました。

今は力強く生きていますが、当時の私からは考えられなかったでしょう。

私が少しずつ変わってきたのは、高校に入ってからでした。

高校でダンスに出会う

高校は、中学の成績や内申が悪かったため、地元のヤンキー高校にしか進学出来ませんでした。

ヤンキー高校では、特に虐められることもなく、平穏に普通に高校生をやっていました(実はかなりさぼっていた)。

特にやりたいこともなく、悶々としながら生活していました。

暇だなーと思いながらテレビを見ていると、毎週楽しみに見ていた「めちゃイケ」が始まりました。

このときのめちゃイケが私の人生を一つ変えました。

めちゃイケでやっていたのは、「ナイナイ岡村 VS ガレッジセール ゴリ」のダンス対決でした。

これを見た私は衝撃を受けました。

お笑い芸人なのにめっちゃ格好良く踊っている!!

はっきり言って、ナイナイの岡村さんは、背も小さいし、ちんちくりんで格好良くないと思っていましたが、これを見てからは憧れの存在になりました。

この日のめちゃイケを録画していた私は、この日から毎日このビデオを見て家で一人でブレイクダンスの練習をしていました。

元々ダンスをやっていた私の兄が、そんな私をダンス仲間との練習に誘ってくれ、そこから毎日駅前で踊るようになりました。

ダンスを始めてから、「何にも出来ないと思っていた自分だったけど、そんな自分でも出来ることがあるんだ!」と自信を持つようになり、日々成長していく自分に感動していました。

ダンスが私を明るい性格に変えてくれました。

この時、ダンスに出会えたことを今でも感謝しています。

高校でPCにも出会う

ダンスに出会い、変わっていった私にもう一つ出会いがありました。

それがPCです。

きっかけは、友人が持っていたPCで遊んだことです。

その時に遊んだゲームが、北斗の拳のタイピングゲームでした。

友人にブラインドタッチを教えてもらい、友人の家に来てはゲームで遊んでいたら、気がついたらPCにどっぷりはまっていました。

結局、家でやりたいがためにPCを購入し、そこからはPCの魅力にはまり、半引きこもりでPCをいじっていました。

ここからダンスをやらなくなり、豚のように肥えていきました(笑)。

しかし、PCとの出会いをきっかけに卒業後の進路が決まりました。

ITを学ぶ専門学校へ

高校を卒業後にネットワークを中心にITを学ぶ専門学校へ進学しました。

専門学校では、ITを学ぶ座学から、実際にネットワークを構築する実習などを通して知識や技術を習得し、基本情報技術者やCCNAと言った資格を取得しました。

ここを卒業した人の多くがネットワークエンジニアになるのですが、アニメやゲームが大好きだった私は、何を血迷ったか卒業後の就職先にゲーム業界を志望した。

ゲーム業界で雇われるには、まず自分でゲームを作成して会社に提出しないといけません

専門学校では、入門程度のプログラムしか教わらないため、自分でゲームプログラミングを学習し、絵や音楽も自分でどうにかして、何とかゲームを作成しました。

しかし、その稚拙なゲームでは、ほとんどの会社に受からなかったが、何とか小さいゲーム会社に受かり、ゲームプログラマとしての道を歩み始めました。

ゲームプログラマになるが続かず

やっとのことでゲームプログラマになれましたが、幼稚な考えの私は仕事が続きませんでした。

「こんなことするためにゲームプログラマになったんじゃない!」と、入ったばかりなのに仕事に不満を抱えて、気がついたら入社半年で退職願を出していました。

特に次の就職先も決めず、「なんとかなるっしょ!」と超楽観的に退職してしまいました。

しかし、その甘い考えが最悪な展開を招きました。

ちょうど私が退職した時にリーマンショックが起きたのです。

リーマンショックによる大不況により、求人は激減、求人自体の要件も上がり、私ではどこにも就職できない状態でした(この時は要件が大卒以上が当たり前だった)。

就活を続けたが実らず、このまま就活しても意味が無いと感じた私は、どうせ働けないなら自分の好きなことをしよう!と考え、以前からもっと勉強したいという思っていたので、22歳にして大学に進学することに決めました。

進学を決めたのが2月のことでした。

もちろんセンター試験は終わっており、私立大学の後期試験しか残っていませんでした。

もうこれ以上歳を無駄に重ねたくなかった私は、その時に受けられる大学を片っ端から受けて、何とか大学に合格し進学することになりました。

この時にソフトウェアだけでなくハードウェアについても知りたいと思ったので、大学の学科は電気電子工学を選択しました。

ここから私のエンジニアとしての道が始まりました。

4年遅れの大学生活

22歳で大学に入学した私は、高校卒業後にストレートで大学に入学した人からしたら4年遅れの大学生活をスタートさせました。

私が入学した大学は、お世辞にも頭の良い大学ではなかったため、同級生にはチャラいのが多かったです。

私は、チャラい人と付き合えるほどコミュニケーション能力が高くなかったので、真面目そうな方と仲良く勉強していました。

また、年齢のことは隠していませんでした。

嘘をついたり隠し事が嫌いな私は、仲良くやっている人には包み隠さず話していました。

年齢のことを言うと最初はみんな戸惑いますが、すぐに気にせず仲良くやっていけました。

気にするのは自分だけだったみたいです。

大学生活中は、留学にもチャレンジしました。

大学3年になり、卒業後の進路を決める時に、「自分のこれまでの強みを活かすとしたら、どんな職業が合っているのだろうか」と考えた結果、ソフトウェアとハードウェアの両方の知識が活かせる制御系エンジニアになろうと決めました。

就活は、制御系エンジニアに絞り、100社にエントリーし、50社以上の説明会に参加し、20社の面接を受けました。

その結果、年齢の足枷があるにも関わらず、一部上場企業のメーカーに内定をもらえました。

22歳で入学し、26歳で卒業する俺だけど、ちゃんとした会社に就職できた!とその時は喜びました。

しかし、ここからが地獄の始まりでした。

産業機械の制御設計という名の地獄

産業機械を製造・販売している会社に制御設計として入社した私は、ここから地獄を見ることになります。

入社してから最初の一年は、製造部門で研修でした。

研修と言っても、工場で働いている人達と同じ仕事をして、これから設計に携わるものがどうやって作られているか、どんな機械なのかを体験から学んでいきます。

この一年は毎日定時で帰れるし、仕事や人間関係も良かったので楽しかったです。

問題は、設計に移る2年目からです。

2年目になり設計に移った私が配属されたグループは、ゲテモノと呼ばれる特注機の設計をするグループでした。

まず配属されて驚いたことは、グループリーダーと主任が出張で居ないことでした。

その時にグループにいたメンバーは、別部署から異動してきたばかりの人と、数ヶ月後に退職する人の二人だけでした。

まだ配属されたばかりで右も左もわからない私の最初の仕事は、退職する人の引き継ぎでした。

はっきりいって無茶苦茶過ぎでした。

一応新卒入社で設計経験がない私が、いきなり数台の担当をするのです。

しかし、引き継ぐ人がいないということで、強引に私に引き継がされました。

ここからが地獄でした。

設計のノウハウがない私がいきなり自分自身で仕事を進めない状態になったところで、良い設計が出来るわけがないのです。

そのため、私が設計したものに対して鬼のようなクレームが毎日のように押し寄せます。

しかも、その会社は体育会系なため、電話や対面でガンガン怒鳴られます。

問い合わせの対応はしないといけないし、設計はしないといけないし、その設計をするための勉強をしないといけないという状態で、休みが取れない状態になりました。

毎日終電まで残業し、土日は出勤する毎日…

月150時間程度の残業は当たり前で、ゴールデンウィーク、夏休み、年末年始も出勤していました。

そんな環境なので、同僚には精神病になる人が多かったです。

しかし、私は何とか食らいついて技術を身につけ、入社してから3年半後に転職することに成功しました。

転職時の年齢は30歳でした。

再度プログラマへ

何とか転職することに成功した私は、今度はプログラマをやることになりました。

過去のプログラマとしての経験は錆付いており、また一から仕事と技術の覚え直しです。

ここでは、C#を使ってWindowsのアプリケーションを作成しました。

この会社は、前の会社と違って社員を大切にする会社で、とても居心地が良かったです。

しかし、結局この会社も1年で退職しました。

理由は、技術が低すぎて、ここではこれ以上の成長は見込めないからでした。

そして、また転職をすることに…

そして現在

現在は、また産業機械の制御設計に戻りました。

しかし、以前と違い、大手メーカーでまったり働いています(笑)。

定時帰りも多い会社で、空いた時間を利用してブログをやり始めたという訳です。

これからもエンジニアとして技術を磨くと共に、何か情報を発信していきたいです。

恋愛遍歴

非モテ理系男子代表

はっきり言いましょう。

私は童貞です!

彼女が出来た経験はありますが、Hまで至ったことがありません…

典型的な非モテ理系男子が私です(笑)

モテなくてモテなくて震える by 西野カナ。

初彼女が出来たのが28歳の時

初めて彼女が出来たのが28歳の時でした。

モテなさすぎて辛かった私は、当時出始めたばかりのマッチングアプリを始めました。

この時に出来た彼女は、そのマッチングアプリで知り合った人です。

順調にデートを重ねていき、3回目のデートで思い切って告白!

これが何とか成功し、お付き合いさせて頂くことに!

しかし、これも長く続きませんでした。

ある日、彼女とお祭りデートをした時でした。

お祭りでかなりお酒を飲んで酔っ払った私がつい調子に乗ってしまい、真っ昼間から講習の面前で「Hさせて!」とおねだりしてしまいました…

これがきっかけとなり、デリカシーのない人とは一緒にいられないと振られてしまいました(T-T)

29歳で二人目の彼女

29歳になり、何とか二人目の彼女が出来ました。

この方とは1年間続きましたが、1年間も付き合っていてキスすらしませんでした…

一度デートの時にHに誘ったことがあったのですが、「私は結婚するまでそういうことはしないから!」と断られてしまい、一気に意気消沈…

その後、ディズニーランドでのデートの時では、手を握っただけで「気持ち悪い!」と言われてしまう始末…

彼女は潔癖症だったようで、基本的に触れられたくなかったようです。

1年間我慢して付き合いましたが、結局私が耐えられなく分かれることに…

この1年間は何だったのかと悲しくなりました。

現在は?

現在は、色んなマッチングアプリや婚活パーティなどを試しながら彼女を探しています。

早く素敵な人に出会って結婚したい!!

 

大切にしていること

迷ったらやってみる

他人に惑わされない

知的探究心を忘れない

思いやりを持つ