先日、私が携わっている案件でちょっとした失敗がありました。
ソフトウェアの仕様について、お客様と私たちとの間で見解が異なる仕様があり、誤った仕様の機能を追加してしまいました。
さらに、その仕様については、設計書で具体的に書いていなかったため、お客様の解釈が間違っていたとはっきり言えない状態でした。
こちらとしては、「明らかな仕様変更、または追加仕様になる」という認識でしたが、お客様の見解は、「そちらの認識ミスのため、追加見積もりは受け付けない」と、こちらの要求を拒否される事態になってしまいました。
結局、お客様の方がパワーが強いため、押し切られる形で”無料”で仕様変更する羽目になりました。
その時は、「腹立たしいけど仕方が無い…」と諦めて終わりましたが、後で考えてみると、やりようによっては追加費用をもらうことができたかもしれないと考えました。
どうすれば良かったかなーと考えると、やはり、圧倒的に交渉力が足りていなかったと反省しました。
それもそのはず、今まで交渉について学んだことがなかったことに気がつきました。
学習なしで出来る人は、天才しかいないので、凡才の私は学ぶ必要があると感じ、書店で何か良い本がないかなーと探していると、ちょうど良い本を見つけました。
この「交渉の武器」は、1999年にアメリカの法律専門誌で「世界で最も恐れられる弁護士チーム」に選抜された、クイン・エマニュエル・アートハート・サリバン法律事務所出身の著者が、自身の経験から交渉の肝をまとめた本です。
コンパクトな内容にかかわらず、ビジネスで役に立つ情報が多く書かれており、値段以上の価値を感じました。
この本で学んだことをソフトウェア開発の観点で説明していきます。
交渉のゴールは「自分の目的」を達成すること
多くの人が、交渉とは、「ある条件に両者が合意すること」だと考えると思います。
これが大きな勘違いなのです。
実は、交渉とは、「自分の目的を達成すること」なのです。
よく考えればその通りで、交渉の場を設ける理由は、何か達成したい目的があるからだということに気が付きます。
ソフトウェア開発の見積もりならば、発注側は、より安い金額で発注したいですし、受注側ならば、より高い金額で受注したはずです。
交渉は、各々が達成したい目的があり、その目的が一致しない場合に発生するのです。
当たり前のようですが、意外と大きな落とし穴のように感じます。
そのため、合意するために不本意な条件を受け入れることは間違いで、たとえ不本意な条件だとしても、受け入れることで自分の目的が達成できるかかどうかを考えて、相手の条件を受け入れる必要があります。
この根本的な理由を理解していると、今まで自分がしていた交渉が間違っていたことに気が付きました。
私の場合、交渉の場に就くと、つい自分の正しさを証明するために、相手を論破しようとしがちです。
「自分の目的を達成する」という根本的な理由を中心に考えれば、相手を論破する必要はありません。
むしろ、相手に歩み寄り、相手を味方にした方が目的達成により近づくでしょう。
さらに良いのは、交渉すらしないことです。
交渉は、お互いの目的の不一致により発生すると言いましたが、この不一致が自分の勘違いの場合もあります。
相手としては、ただ謝罪してもらいたいだけなのに、勝手な解釈で賠償金を求められると思い、謝罪を拒否すると言ったことが考えられます。
この場合ならば、こちらの非を認め、謝罪した方が賢い選択と言えるでしょう。
絶対に譲れない「交渉決裂ライン」を決める
交渉に臨む場合は、自分が絶対に譲れない「交渉決裂ライン」を決めることが最重要です。
交渉決裂ラインを決めることは、自分がどこまで条件を妥協できるかを定めることです。
これを決めないで交渉に臨むと、相手にかなり悪い条件を提示された場合、それでも受け入れないといけなくなり、圧倒的に不利な立場になりかねません。
交渉決裂ラインは、トランプでいうジョーカーなのです。
最後の切り札としてこちらが持っていれば、相手から悪い条件を提示されたとしても、このカードを切ることで、悪い条件を回避できます。
相手の目的が、交渉である程度有利な条件で契約することであれば、交渉決裂は避けたいはずです。
この場合、交渉決裂カードを突きつければ、相手は怯み、条件を緩めるしかなくなります。
ただし、このカードを切る場合、不退転の決意を持つ必要があります。
カードを切ったは良いものの、相手が怯まずにそのカードを受け入れてしまった場合、不退転の決意がなければ、こちらが怯んでしまいます。
そのため、交渉決裂ラインを決める時は、同時に交渉決裂した後のことを考えておきましょう。
その後を考えた上で、交渉決裂カードを切るかどうかを慎重に決める必要があります。
こちらにある交渉材料となるパワーが何か考える
受注側の場合、大抵は受注側のパワーが弱いです。
ソフトウェアハウスならば、発注側からすれば、ただ条件の良いソフトウェアハウスを選べばよいだけで、受注側は選ばれるだけの存在なことが多いです。
特にソフトウェアハウスの多くが特別な技術、強いコアコンピタンス(他社にはない自社の強み)のない会社がほとんどです。
そういう企業は、とても弱い立場なのです。
交渉では、少しでもパワーがなければ交渉になりません。
パワーがなければ、相手のパワーに押されて、不利な条件を受け入れるか、交渉決裂するだけです。
しかし、その弱い立場でも何かしら隠されたパワーがあるはずです。
例えば、今のエンジニア不足の時代だと、開発案件数に対して、エンジニアや受託開発企業数が圧倒的に不足しています。
そのため、発注側は、発注先を探すだけでもかなりの労力を費やします。
その弱みを利用すれば、受注側でも交渉を有利に進められる可能性があります。
この強みを最大化するためには、事前に相手企業のことを入念に調査しておくことが求められます。
例えば、相手企業の最近のニュースを見てみると、相手企業が儲かっているかどうか、多くの仕事を抱えているかどうかが分かりますし、その企業の求人数からエンジニアが足りていないことが分かってくると思います。
“儲かっている”、”多くの仕事を抱えている”、”求人数が多い”ことから、「仕事も予算もあるのに開発してくれる人がいない」ということが読み取れます。
これらのことが分かれば、多少強気の見積もりを出しても受け入れてくれる確立が普段より高いのではないでしょうか。
また、最初の要件定義の段階で相手から多くの情報を引き出す方法もあります。
打ち合わせ時に
「最近は、弊社にも多くの引き合いが来ていて助かります。御社のお仕事の調子はどうですか?」
「お客様からは、弊社のソフトウェアの品質が良くて気に入られているんですよ。品質の良いソフトウェアを開発してくれる会社が少ないみたいなので。御社でも同じでしょうか?」
といったことを聞いておけば、仕事が多く、少しでも外注化したいのか、質の悪い会社が多く、質の良い会社を探しているのかどうかが会話から読み取れます。
自社のパワーが弱い場合は、相手の弱みを見つけ、その弱点を上手く利用すれば、自社有利で交渉を進められるでしょう。
また、上記の会話例の特徴は、自分の情報を話に加えています。
これは、心理学のテクニックである「自己開示」と「返報性の原理」を利用するためです。
返報性の原理は、相手に何かしてあげると、相手は何かお返ししないといけないと感じる心理現象です。
これに自己開示を加えます。
会話の中で、まず自分のことを話します。これを聞いた相手は、返報性の原理より、お返しに自分のことを話さないといけないと感じ、自分のことを自然に話してくれるようになるということです。
交渉では、心理学のテクニックを利用することも有効です。巷によくある心理学の本は、ビジネスにも利用出来るものがあるので、一読することをお勧めします。
ただし、嘘やごまかしは厳禁です。簡単なことで、ばれた時に圧倒的に不利になるからです。
心理学を利用することは有効ですが、ハッタリをかますことは止めた方が良いでしょう。
自分に有利な場所・環境を選ぶ
交渉を有利に進める手段として、自分に有利な場所や環境を選ぶことも大切です。
一般的に慣れている場所であるホームの方が心理的に有利になると言われています。
一方、緊張しやすいアウェイでは、心に余裕がなくなり、心理的に不利になります。
なるべくなら、自社に顧客を呼び込み、自社の応接室などで交渉をした方が良いでしょう。
当然、交渉はフェイストゥフェイスがベストです。
直接のコミュニケーションは、細かい部分が伝えられることや、非言語コミュニケーション(視覚、聴覚など)を利用できるため、より性格に情報のやり取りが行えます。
また、交渉は少人数で行いましょう。
大人数だと、相手に弱い印象を与えてしまうだけでなく、上手くチームワークが取れない場合、そこが弱みになってしまう危険性を持ちます。
そのため、あまり大人数だと不利になるので、少数精鋭で臨みましょう。
ただし、一人で交渉するのは危険です。
一人だと、相手の人数に依っては、心理的に追い詰められる形になり、守りの交渉になってしまいます。
また、言質を証明する仲間がいないため、言った言わないの話になった場合、その証明が難しくなります。
そのため、多すぎても少なすぎても駄目なので、状況に合わせて適度な人数を選びましょう。
アンカリングを利用する
心理学に「アンカリング」という認知バイアスの一種があります。
例えば、ソフトウェア開発の納期で言うと、お客様に「この開発には1ヶ月掛かります。」と言っておいて、その後「2週間で終わりました!」となれば、お客様は「凄いじゃないか!思ったより早いな!」と高評価になります。
しかし、これが「開発は1週間で終わります。」と言ったにもかかわらず、「すみません、2週間掛かりました。」と成った場合、お客様は「1週間も遅れているじゃないか!」と低評価になってしまいます。
これは、最初に提示した条件が「アンカー」になっていて、そこを基準にその後の評価を下していくためです。
そのため、最初に提示する、または提示される条件がアンカリングとなり、その後の交渉に大きく影響を与えます。
こちらからオファーを提示する場合は、このアンカリングを意識して、高めの金額を設定します。
だからといって、あまりにも高額に設定してしまうと、このアンカリングの効果がなく、交渉にすらならないかもしれません。
ここで設定すべき金額は、相手が交渉の場に就いてくれるだろうギリギリの金額にすべきでしょう。
この金額の見極めは難しいでしょうが、今後の交渉を左右する重要な局面なので、慎重に決めましょう。
また、相手からオファーが来る場合は、必ずアンカリングされていると考えて下さい。
相手も同様に少し高めの金額を設定してくることでしょう。
それを考慮すると、著者の感覚では、±50%くらいが本来の価値になるそうです。
このアンカリングを考慮し、適正金額を見極めましょう。
譲歩は徐々に進める
交渉で相手に譲歩する際は、徐々に条件を緩めていきましょう。
徐々に緩めていく中で、そのスピードを段々落としていき、こちらがギリギリのところで譲歩していることをアピールするのです。
例えば、見積もり金額の交渉において、こちらの要求が50万円に対し、相手の要求が30万円だったとする。
譲歩する際は、こちらの要求額を46万円、44万円、43万5千円と、徐々に減らす金額の幅を狭くしていきます。
そうすると、相手はこちらがギリギリのところで交渉していると判断し、妥協点を譲歩してくれるようになります。
譲歩の際は、こちらもいっぱいいっぱいだと言うことをアピールしましょう。
交渉の力で不合理に立ち向かう
このように、交渉力を鍛えれば、弱者でも有利な条件で契約することが可能でしょう。
受注側では、見積もりで泣かされることも少なくないです。
特にソフトウェアの受託開発では、受託側にパワーがないため、顧客有利になることが顕著です。
この不合理に負けないために、適切な交渉方法を理解し、それを実践することで、今より良い立場で働けるように頑張りましょう!